伏見博明殿下の肖像 2007年
油彩 カンヴァス 91.0×72.7cm 伏見宮家献上

  伏見宮博明王(ふしみのみや ひろあきおう)昭和7年(1932年)1月26日〜 

伏見宮
(ふしみのみや)は、日本の宮家の一つ。四世襲親王家の一つ。

菊の花を裏から見た様子を描いた裏菊を家紋とし、家紋同様、天皇家と表裏一体の存在で
あった。
北朝第3代.崇光天皇の皇子、栄仁親王(よしひと、なかひと)が始祖。明治維新に創設された宮家は、ほとんど伏見宮家の系統である。現在の天皇家も伏見宮家の系統であり、伏見宮貞成親王の男系子孫である。元来、伏見宮家は持明院統の嫡流にあたるが、伏見宮貞成親王の男系子孫である。
元来、伏見宮家は持明院統の嫡流にあたるが、栄仁親王の天皇位継承は将軍足利義満に忌避されたと考えられる。
伏見宮の宮号は、宮家の所領・伏見御領にちなんだものである。栄仁親王の子の3代貞成親王は、自ら伏見宮と称していた。伏見宮貞成親王の子の4代貞常親王の時に、後花園天皇(貞成親王の子)から、永世、伏見殿と称することを勅許され、以後、代々、伏見宮と名乗るようになった。現皇室の本宗にあたると考えられたためか、他の宮家が次々断絶していく中、どの時代にも、常に大切にされ、守られてきたと認められる。
幕末・明治維新の時の19代貞敬親王、20代邦家親王は子女に恵まれ、貞敬親王からは、梨本宮、邦家親王からは、山階宮、久邇宮、小松宮、北白川宮、東伏見宮がそれぞれ創設された。
明治維新後は、邦家親王の跡を継いだ21代 貞愛親王は、元帥、陸軍大将に累進。明治、大正両天皇の御信任も厚く、皇族の重鎮として、大日本農会、在郷軍人会総裁を歴任した。
貞愛親王の跡を継いだのが、博恭王である。最初、華頂宮家の嗣子であったが、伏見宮家の後嗣に予定されていた弟の邦芳王が病弱のため、伏見宮に復帰・相続した。元帥・海軍大将・軍令部総長として昭和海軍の実力者であった。博恭王は、昭和21年8月16日薨去し、孫の博明王が後を継いだ。
昭和22年皇籍離脱により、伏見氏を名乗る。

『伏見宮家系譜』より抜粋

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